昨年から、ミャンマーのロヒンギャ民族に対する「民族浄化」とも言える、銃殺、レイプ、拷問、放火など、あらゆる手段を用いた弾圧が続いていました。
今年8月25日から10月29日の間に、推定60万7000人の人々がミャンマーのラカイン州からバングラデッシュのコックスバザールへ向け国境を越え、国連UNHCR協会はこの難民の流入が「急速に拡大する難民の危機と人道的緊急事態」であると宣言しました。
ありとあらゆるところにテントが建てられ、青とオレンジのビニールの防水シートがコックスバザールの谷間をうめつくすように敷き詰められている。一人が歩くのにやっとの幅の道がテントの合間をぬって続いている。
数平方メートルのテントの中には大家族がひしめきあい、入り口はひとつしかなく、換気穴もない。 薪を使った料理で煙と熱がこもる。空気は大変蒸し暑く、たまに吹く微風が少しだけ安らぎをもたらす。
いたるところに子どもたちがいる。狭い道をかけ走る子ども、日影のある場所でしゃがんでいる子ども、ペットボトルや木で遊んでいる子ども、車が行き交う危険な大通りの近くを走り周る子どもたち。そして他の国の子どもたち同様、何か楽しいことや、新しいゲームを見つけ出して遊んでいる。ただ、この子どもたちは転んだ時にすぐ涙ぐみ、腹を立てた時に怒りの拳が即座に飛び出すことに気付いた。何人もの子どもたちの目には、最近味わった恐怖の影が宿っている。
テントの前に立っていた一人の青年とその家族は辛い体験を打ち明けてくれた。「やつらは子どもたちを殺し、母親をレイプし、村を焼いたんだ。」とジャベール(24歳)は語った。「私たちは村のみんなを守れなかった。彼らを救えなかったんだ。ただ逃げるほかなかった。」
彼の話を聞いていて、思わず耳をふさぎたくなった。「僕はやつらが子どもたちを捕まえて、焼き殺すのを見たんだ。」と彼は言った。 「彼らは村を円陣で囲み、だんだんと近づいてきた。そして村人たちが逃げようとするところを捕まえていった。」彼とその家族は脱出する時に、地面に掘られた穴々に多くの遺体が埋められているのを見たという。
又、別の会話の中で、Dineh(70歳)が同じく悲惨な経験を語ってくれた。「軍隊が到着したとき、私の息子はモスクにいたんです」と彼は振り返る。 「息子は逃げようとしたが、銃で撃たれ、そのまま路上で死んでしまった。私たちは息子を家で埋葬することはできなかった。彼は他の多くの人々と一緒に集団埋葬されました。」
私がここで話した一人一人が喪失感、痛み、悲しみに満ちた体験をもっていた。自らの生活を追われて逃亡して来たこの60万7千人というロヒンギャ族の全員が同じような怖れと不安を経験しているのだろう。彼らが再び故郷に戻れるのか、離れ離れになった家族と再会できるのか、また学校に通ったり、新たな職を見つけたりできるのか、それに簡単に応えるすべは無い。しかし、このような苦難の状況におかれながらもひとつだけ真実が残る。それは彼ら自身が、「彼らを愛し、彼らの命を尊いと思っている方について知る」必要があるということだ。
現在、難民キャンプの規模は大変大きく、お隣同士であっても他人で信頼関係はなく、新しいコミュニティーとしての意識を確立するには、時間と組織的な活動の助けが必要であるとされています。
主な計画:
• 子どもたちが安全に遊べるスペースを難民キャンプの中に作り、トラウマの治療、重度の子どもや保護者を特定し、報告
• 性的暴力、栄養失調、病気など、コミュニティー内のさらなるリスクの早期発見
• 女性や子どものための安全な水浴環境、衛生面における教育、物品(調理道具、衛生セットや蚊帳など)を提供
救援活動の募金
郵便振替口座02100-0-24998 加入者名 「OM日本事務局」
記事:Ellyn Schellenberg 写真:Garrett N